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第二十夜 Sleeper Train @Beograd [Serbia]

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陽が傾きはじめた時間、ベオグラードの街歩きを終え、宿に戻った。

チェックアウトの際、「キッチンやシャワー、使ってかまわないよ」という案内をもらっていたので、
預けて置いた荷物を受け取り、その言葉に甘えた。

街歩きでベタついたカラダをシャワーでリフレッシュ、シャツを着替え、寝台列車に備えた。
払った金額から想像するとおそらく列車にはシャワーなどないだろう、
有料のコイン・シャワーなどあれば奇跡、車内にエアコンが効くのかもアヤシイと踏んでいる。
いずれにしろこうしてチェックアウトした宿で体勢を立て直せるのはウレシイ、
ホステル、ゲストハウスはそのあたりはいい意味でレイジーなので、助かる。

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帰り道、ピザ屋で切り売りのピザをテイクアウト、
日本の週刊誌を対角線で切ったぐらいのでっかい三角が100ディナール、
これに昨夜の残った刻み野菜を乗せ、ボリュームを上げて、夕食に。

ホステルのリビングにいたドイツ人、フランス人、トルコ人、それにセルビア人のスタッフが加わり、
5ヶ国が入り混じり、ニギヤカなおしゃべりで過ごすことができた。
味気ないピザに最高のスパイスだ。

それぞれの自己紹介や仕事の話にはじまり、
「アメリカがいかにバカか」という盛り上がった、これはヨーロッパではよく交わされる話題だ。
方々に飛び散った話は「どこのホテルが酷かったか」で膨らみをみせ、
翌月から転職してベオグラードで働くことになったというフランス人のツブやき、
「ベッド・バグにやられた」話しがもっとも笑いをさらっていた。

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いわゆる「ベッド・バグ」は日本でいう「南京虫」とか性質の悪い「ダニ」の類ですね、
不衛生なベッドに住み着いていて、翌朝目覚めると全身をヤラれている、というシロモノ。

かつてはホステルやゲストハウスなど安宿にはつきものだったが、
昨今は衛生度も上がり、あまり聞かなくなりつつある。
かつては「虫がいるかいないか」が宿情報、宿選びの重要点だったりもした。

「つい先週だよ、ようやく痒くなくなったところだよ」なんてツブやくフランス人の彼に、
「このキレイなホステルにバグを持ち込まないでよ」なんてからかいを入れ、みなで笑った。

「ベッド・バグ」体験はこのブログを記す少し前、
シンガポールから長距離バスでマラッカに向かった際、
そこで泊まった安宿のシングル・ベッドでやられた経験がある。
後にも先にもそれ一度だけの被害で済んでいるので、「笑い話のネタ」体験で済んでいるかな。

新しいホステル狙いで泊まり歩いているのはこういう一面もあるのですね。

重ねて古い宿の古いベッドは「人型」に凹んでいるので寝返りすら打ちづらい、というのもありますぜ。
歴年の加重で真ん中だけ凹んじゃっていて、仰向けになると腰が痛い、なんてマットレスも多いので。
「新しい」とか「リニューアル」などという情報は安宿探しの重要点であったりします。

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かなり長い時間をオシャベリとコーヒーに費やし、充実した気分で宿を去ることになった。
リビングにいたみなと握手を交わし、世話になったスタッフとメール交換をし、21時過ぎ、駅に向かった。(写真7)

日本とは異なる低いプラット・ホームに古い列車が滑り込んできた。

ホームにいた駅員にチケットを見せ、指示された車両によじ登る。
外観同様、車内も古く、通路は狭く、三段に分かれたベッドが向かい合う客室も狭かった。
子供の頃に乗った「3段ベッドのブルー・トレイン」に比べると高級ホテルと老舗ホステルのドミトリーほどの差があった。

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そういえば「一人旅」のはじまりは親に頼んで乗せてもらったブルー・トレイン「特急富士」だ。

小学生の頃、夏休みとなると毎年、母方の実家がある別府を訪れていた。
初めは寝台列車の「富士」で出向いていたが、
年月を重ねるにつれ、便利な国内線利用に変わっていったのを覚えている。
たぶん親も飛行機のほうが格段に楽だったのだろう。
そんな感じになっていたのだが、小学5年の夏、「一人で大分に行ってみるか?」と父親に問われた。

その頃、国内線には子供をアテンドするサービスがあった。
「スカイメイト」なんていう乗り放題的なサービスもあったっけ。
出発時からCA(当時はスチュワーデス)が付き添い、到着時まで「手渡し」状態で乗せてくれるサービスで、
父親もそれなら不安も心配もないと思い、そんなことを言い出したのだろう。

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ところが小学5年生は「電車で行きたい」と言い出した。

「ブルー・トレイン」は好きだったが、そんなに「鉄分」が多いわけではなく、
圧倒的に近代的な「飛行機」のほうが好きな子供だったのに、だ。
当時、羽田~大分を80分で飛んでしまう東亜国内航空では物足りない気がして、そんなことを言い出したのだと思う。
すると父親は「じゃあ、電車でいってこい」と10歳の一人旅をあっさりと許可してくれた。

まあ、「一人旅」といっても横浜駅から親に送り出され、
別府駅では叔父が迎えに来ている、というただ列車に乗るだけのシロモノだが。

このときの詳細はあまり覚えていないのだが、鮮明に覚えていることがある。

3段のベッド(当時)が向かい合うコンパートメント(客室)で小さな男の子2人を連れた家族と乗り合わせた。
「すごいね、おにいちゃん一人で行くんだって」と褒められ、くすぐったい気分になった。
目の前に車内販売が現れると、若いお父さんは「カスタード・プリン」を買った。
てっきり子供たちの分かと思っていたらなんと「がんばって着けるように」とこちらにもプリンを一個くれたのだ。

だが小学5年のガキは「カスタード・プリン」がニガテだった。

焼いたタイプのあの苦さと香りがキライだったのだ。
行きずりの大人の親切心を踏みにじるわけにもいかず、「キライ」ですとも言えず、
まさに「苦虫を噛み潰す」思いで苦いカラメルの乗ったプリンを頬張ったことだけが鮮やかに記憶に残っている。

「ブルー・トレイン」と「カスタード・プリン」、どうやらこれが我が「一人旅」のルーツか。

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狭いベッドにバゲージを押し込みながら、そんな郷愁が湧き上がってきていた。
あれ、ちょっと待てよ、「寝台列車」ってあの時以来じゃないか。
そう思うと小さな笑いがこみ上げてきた、もっとも車内販売はやってきそうにないが。

チケットに記されたベッドは2段目だった。
ベッドには枕とキレイに畳まれたシーツと枕カバーが置かれている。
古い車両に古いベッドだったが、」「ベッド・バグ」には遭わないで済みそうだった。
もっとも翌朝にならないとその結果はわからないが。

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同じコンパートメントにはトルコ人が2人、香港人のカップルがそれぞれのベッドに荷物を押し込んでいたが、
互いにベッドメイクの順番待ちをしなくてはならないほどスペースは狭かった。
向かいの最下段のベッドではすでに寝息を立てている男がいるようだ。

ベッドは腰かけるには高さがなく、ほとんどの乗客が行き場をなくして客室や通路で立ったまま話をしている。
窓から吹き込む風は8月とは思えないほど冷たく、
トルコ人の彼が悪戦苦闘しながらベッドサイドの窓を力強く閉めた。

寝台列車は定刻通り、『ベオグラード中央駅』を出発した。


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